中学3年の冬。
彼女は、ひとりで泣いていた。

「勉強したのに…どうして?」
第一志望の高校に、届かなかった。
努力が足りなかったわけじゃない。
でも結果は、変わらなかった。
悔しさを抱えたまま、彼女は“第二志望”の高校に入学した。
「大学受験で絶対にリベンジする」
そう口にしたのは、高校に入ってわずか1ヶ月の頃だった。
久しぶりに中学の友人に会った。その子は私の第一志望に進学していた。
「高校は、陽キャラが多くて、とても楽しいよ!!」
「結構みんな、うちしか受けてなくてね~。勇気あるよね〜」
楽しそうに高校の様子を話す、友人。

悪気はないことは分かっている。顔は笑顔を維持したが、コンプレックスは隠せなかった。
その時、彼女は決めた。
「私は大学受験で彼女に勝つ!!」
そのために 高1の春から受験勉強を始める と。
こうして彼女の大学受験ストーリーは動き出した。
【高1:涙の連続だった数学】
最初につまずいたのは数学だった。
「なんで“関数”ってこんなに分からないの…」

教科書を開いても、文字が目の上を滑っていく。
塾でも、何度説明されても腑に落ちない。
そしてある日。
帰宅してから、彼女は泣いた。
机に突っ伏し、声を殺して泣いた。
「私、向いてないのかな…」
でも翌日、涙の跡が残るノートを抱えて塾へ来た。
諦めなかった。
一つひとつ、できるまで繰り返した。
この経験が、後々の「粘り」をつくった。
【初めての模試:偏差値40台の衝撃】
夏、最初の全国模試。
返却された結果を見ると、数字は冷たくこう言った。
“あなたは全体の下位○%です”

偏差値は40台。
胸がギュッと締め付けられ、息がつまった。
「なんで…こんなに頑張ってるのに…」
家に帰ると、勉強机の前に座れなかった。
ノートを開く気力が湧かない。
1週間ほど、その日が続いた。
【日本史がまったく覚えられない苛立ち】
秋になると、日本史の暗記が始まった。
けれど、覚えられない。
何回やっても覚えられない。
「もう!なんで頭に入らないの!」
思わず教科書を閉じて机をたたいた。
この頃から、塾を休みがちになった。
【しかし、塾長は見抜いていた】
そんな彼女を、塾長はずっと見ていた。
焦るでもなく、責めるでもなく、
たった一つの言葉を、お母さんにそっと伝えた。
「誰もが通る道です。待ちましょう。
彼女は必ず戻ってきます。」
お母さんは驚いたという。
「こんな状態でも信じてくれるんですか?」
と。
塾長は笑っただけだった。

彼女はこの言葉を、高3になるまで知らない。
【高2:戻ってきた火】
冬。
学校で進路希望調査があった。
周りが次々と「推薦で行こうかな」と言い始める。
そのとき、彼女の胸にあの悔しさが蘇った。
「私は、中学で悔しい思いをしたまま終わりたくない」
「大学受験でリベンジするって決めたじゃん」
ノートを開いた。
久しぶりに、勉強がスッと入ってきた。
そこから、毎日塾に来た。
少しずつ、確実に力をつけていった。
【高3:母から告げられた“あの日の言葉”】
高3の夏。
勉強の合間に何気なく母と話していたときだった。
「実はね…」
母が言った。
「あなたが塾に来られなくなってた時期、
塾長さんが『信じて待ちましょう』って言ってくれてたの」
彼女は固まった。
あの頃、自信を失って、逃げたかった。
それでも見捨てず、待ってくれた人がいた。
その瞬間、心の奥で何かが熱くなった。
「恩返し、したい」

それ以来、彼女はノートの使い方が変わった。
授業の受け方が変わった。
模試の復習が変わった。
残り半年、彼女は“本物の受験生”になった。
【そして、合格発表の日】
震える手でスマホを開く。
受験番号を探す。
指先が汗ばむ。
あった。
あった。
「あった!!!」
涙が止まらない。
声にならない叫びが溢れた。
お母さんが彼女を抱きしめた。
「よく頑張ったね…本当に…!」
この瞬間、彼女はすべてを思い出した。
関数で泣いた日。
模試で落ち込んだ日。
日本史に苛立った日。
サボってしまった日。
そして、塾長のあの言葉。
すべてが、この一瞬につながった。
【最後に】
受験は順風満帆ではない。
誰もが迷って、止まって、逃げて、また戻る。
でも、
戻ってくる場所があること
信じてくれる大人がいること
もう一度立ち上がる勇気を持てること
これが、彼女の合格を作った。
そして彼女の物語は、今も続いている。

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